"学びたい"という欲望。
人は地球上で唯一、"学習できる生き物"、とどこかの請け売りではあるが聞いたことがある。
自分自身、年齢も30代後半になってきて、学ぶということの尊さを改めて実感している。
僕は、小学校時代から塾に通っていたが、一ミリの成果出ず、中学受験をするも滑り止めにギリギリ程度。そりゃそうだ。自分自身に塾に行きたい願望などなく、親から半強制的に行かされていただけなので当然の報いである。そんなことよりも小学校の校庭で日が暮れるまでドッジボールをしたかった。
大学時代。僕は経済学部に入って、金融を学ばせてもらっていた。僕は一ミリも興味がなかった。それよりも心理や歴史を学びたかった。そんな4年間で授業から得れたものなど皆無だった(両親、ごめんなさい)
今、僕は毎日自分自身に勉強する時間を与えている。
少し前に知り合いから教えてもらった武井壮さんのYoutube動画。これがとても印象に残っている。どれだけ忙しくても自分に1時間だけ勉強する時間をご褒美として与えている、と。
強制的に学ばされるものほど苦痛なものはない。もとをたどるとそれは親や教えて下さる方の愛ゆえの行動かもしれないが、本人が学ぶ気がなければ効果などほぼ無いに等しいと僕は思う。
逆もしかり。学びたいと思っている人の力はとてつもなく大きい。本人の脳が学びたいモードに入っているいときのインプットとアウトプットに質は経験や年齢などを凌駕し、学びという力を本人に与える。
仕事も同じことが言える。やれと言われてやる仕事。あ、これやっときゃなきゃと思って進める仕事。おそらく学びも成果も変わってくる。
あなたには、"学びたい"という欲望はありますか?
学びたいと思った日を大切にしてほしい。
それが積み重なって、とてつもなく大きなパワーになるから。
この記事を書いた人
吉永 亮(Yoshinaga Ryo)
1985年、兵庫県西宮市生まれ。立命館大学経済学部を卒業後、楽天グループ株式会社・株式会社ビズリーチ・株式会社ジェイエイシーリクルートメントと、IT・人材領域での経験を積み、2019年にコワーキング&イベントスペースを開業。 “成長・共創・つながり”が生まれるコワーキングスペースとしてコロナ禍真っ只中にOPEN。プロスポーツチームやスタジアムの在り方をコワーキングに転用し、”大阪でいちばん巻き込まれる場所”を作りつづけている。2024年のGRANDSLAMのスローガンは「ドラマチックコワーキング」。